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南投藍田書院

風水建築が設置された台湾で珍しい文廟
南投藍田書院
所在地: 南投県南投市崇文里文昌街140号
経 緯 度: 120.68453,23.90740
料金: 無料
利用できる日:
通年
利用できる時間帯:
午前6時~午後9時
主催機関: 南投藍田書院
関係機関のURL: リンク
E-mail: 
お問い合わせ: (049)222-1184

景観の価値

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一般に文昌祠と呼ばれる藍田書院は、草屯鎮の登瀛書院、集集鎮の明新書院と合わせて南投県3大古跡書院と並び称され、その中でも最初に創建された書院です。清朝統治時代の教育機関「土番社学」の後の「南投義学」を起源としており、古くから地域の教育の発展に貢献してきました。書院と鸞堂はともに儒教を崇拝していることから、台湾の鸞堂は発展の過程において、宮殿を建造するほか、書院に祀られていた文昌帝君の信仰を取り入れることで教えの普及を図っており、藍田書院に設置された鸞堂「濟化堂」はその典型例と言えます。同書院内で最も高い価値を持つ文化財とされる「天上文衡」、「文明気象」、「奏凱崇文」などの扁額は、地域を代表する文廟としての地位を示しています。

歴史と沿革

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清朝初期、山間部に位置する南投地区は開発が進んでおらず、文化・教育方面でも発展が遅れていました。清朝中期になると漢民族が南投の開拓を終え、1831年に藍田書院が建造されました。同書院は南投三大書院(残り2つは草屯鎮の登瀛書院と集集鎮の明新書院)の中で最初に建造された書院であり、日本統治時代には南投公学校の宿舎としても使用されました。藍田書院という名前には「人材を育てることは玉を作ることのようであり、青は藍より出でて藍より青し」という意味があり、優れた才能を育成するという願いが込められています。1864年に現在の三民里藍田街に改築され、その後1911年の市区改正計画に伴い、1915年に現所在地の崇文里文昌街に移されました。その過程で幾度もの改修が実施されており、最終的に1957年の改修工事によって現在の外観が築かれました。1999年の「921大地震」によって深刻な傾きと沈下が見られましたが、2003年5月7日にその修復作業が完了し、本来の外観がよみがえっています。近年、学校教育の普及に伴い、伝統的な書院としての機能は失われ、ごくわずかな学生たちが学習に訪れるのみとなっていますが、祭祀場所としての機能は維持されており、敷地の奥には多くの信徒が集う鸞堂が設けられています。内政部は藍田書院を国家第三級古跡に指定しています。

特色あるナビゲーショ

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南投藍田書院平面図で標示南投藍田書院各ガイド項目、ガイド項目8ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1「藍田書院」の表札

青地に金字の「藍田書院」の表札は、高さ90センチ、幅66センチ、中央の平面板は高さ62センチ、幅34センチの木製で、1833年の作です。為書きには1864年に再建され1916年に移転されたことを示す「同治甲子重建、大正丙辰轉築」、贈り主には地元の有力者たちから贈られたことを示す「衆紳士等全立」と記されており、さらに中央には楷書で「藍田書院」の4文字が力強く記されています。かつて不適切な方法で扁額に塗装が施されたこともありましたが、伝統的な坯土、鉱物顔料、銅油、蘇州式の色絵などを用いた修復が行われ、古跡としての佇まいが取り戻されています。

2「天上文衡」の扁額

黒地に金字の「天上文衡」の扁額は、長さ212センチ、幅88センチ、厚さ4.5センチの木製で、1842年の作です。為書きには1842年の吉日に贈られたことを示す「道光壬寅穀旦」、贈り主には藍田書院の建造を記念して地元の有力者たちから贈られたことを示す「新建藍田書院衆紳士全立」と記されており、さらに中央に楷書で「天上文衡」の4文字が記されています。

3「文明気象」の扁額

赤地に金字の「文明気象」の扁額は、長さ212センチ、幅83センチ、厚さ6センチの木製で1864年の作です。為書きには1864年1月吉日に贈られたことを示す「大清同治甲子年端月穀旦」、贈り主には藍田書院の再建を記念して地元の有力者たちから贈られたことを示す「重建藍田書院衆紳士同立」と記されており、さらに中央に楷書で「文明気象」の4文字が記されています。

4「奏凱崇文」の扁額

黒地に金字の「奏凱崇文」の扁額は、長さ236センチ、幅90センチ、厚さ6.5センチの木製で1865年の作です。為書きには改修された祠宇の落成を記念して1865年春に贈られたことを示す「乙丑春日由看頂移營南投仰荷神麻平台凱旋適重修祠宇落成題額誌感」、贈り主には「欽加二品頂戴台澎題督學使皖江丁日健敬立」と丁日健の名が記され、さらに中央に楷書で「奏凱崇文」の4文字が記されています。丁日健(生年不詳)は1835年に科挙に合格し、鳳山知県を務めたこともある人物です。

5照壁、半月池

照壁、半月池三川殿前の庭院には、外から中が見えないようにするための「照壁」が設けられています。照壁の前には、古代中国の学校では泮池と呼ばれていた「半月池」があり、池の中から顔を出す鯉は「鯉躍龍門(鯉の滝登り)」を意味し、試験合格の象徴とされています。半月池の両側に設置された旗立台も試験合格を意味しており、文廟としての特色が感じられます。

6奇賢門

奇賢門藍田書院の建物中央に門はなく、わきにある門から出入りします。入り口にあるコンクリート製の特殊な形状の門「奇賢門」は魔除けの効果があり、参観者は奇賢門の両側を通ることになります。これらは一般的な書院や寺院にはあまり見られない建築様式です。

7正殿の木彫り

正殿の柱や梁などの骨組みに施された木彫りは華やかさと荘厳さを兼ね備えており、主に正殿の骨組みと神棚や右廂の骨組みなどの構造体や内装に装飾が施されています。透かし彫り、浮き彫り、立体彫りといった3つの技法が用いられ、平安、富、幸福、長寿、忠孝節義を象徴する花や鳥、螭虎、書物や人物の物語などが題材として扱われています。

8二進三開間の建築様式

二進三開間の建築様式二進三開間(中国伝統建築の正面の外観において、2本の柱の間の空間を一開間といい、三開間は大規模の建物であることを表す)、二護龍の三合院式で、もともとあった三川殿は台湾光復後の改修工事の際に取り壊されています。現在の構造は三開間で、牌楼の中央に両開きの板戸、両側に透かし彫りの板壁があり、屋根には硬山式三川脊という技法が用いられ、歩口には軒を支える吊筒が設けられています。再建された拜殿は一層の屋根からなる単檐歇山式で、両側の硬山馬背式の護龍と繋がっており、屋根の棟には西施脊と呼ばれる装飾技法が用いられています。正殿の屋根は硬山単檐燕尾式で、全体的な構造は切妻が2つ連なった形状をしています。建築過程において建物の中心軸を境に左右をそれぞれ異なる職人が担当する「対場作」と呼ばれる形式が取られていますが、左右ともに非常に似た部材と様式が用いられています。増築された後殿には、敬聖亭、照壁、半月池、龍仙水、古風な華表、石碑、怡心亭、文化財展示館が設けられています。

ひとことアドバイス

書院内で線香をあげることはできますが、環境保護に配慮し、金紙を燃やしたりろうそくに火を点けたりすることはできません。一般開放時間は毎日午前6時から午後9時までです。

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