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台北大龍峒保安宮

台湾で唯一ユネスコ文化遺産保全賞を受賞した寺院
台北大龍峒保安宮
所在地: 台北市大同区哈密街61号
経 緯 度: 121.51762,25.07368
料金: 無料
利用できる日:
通年
利用できる時間帯:
午前6時30分~午後10時
主催機関: 財団法人台北保安宮
関係機関のURL: リンク
E-mail: service@baoan.org.tw
お問い合わせ: (02) 2595-1676

景観の価値

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大龍峒保安宮はその芸術的な装飾で知られ、廟内には陳應彬、郭塔、潘麗水、洪坤福といった近代の台湾人芸術家による木造、色絵、交趾焼の作品が保存されています。繊細な建築様式と多彩な装飾が特徴的で、高い芸術的価値があります。1995年に保安宮の大規模な修復作業を行った際に、国内外から優れた職人や学者を招き、伝統的な目視や打音検査に加え、科学的な非破壊性測定方法による点検も、古跡の木材の損傷所の点検と新しい材料の選択を行いました。その修復過程は各業界から多くの注目を集めました。また、ユネスコのアジア太平洋地域文化遺産保護コンテストにおいても高く評価され、「2003年アジア太平洋文化遺産保全賞」を受賞し、台湾での古跡修復の手本となっています。

歴史と沿革

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保生大帝は中国の閩南地方で祀られている医学の神様で、「大道公」や「呉真人」などとも呼ばれています。没後に神様として祀られ、現在の福建省白礁郷に廟が建てられ、1150年には宋の高宗から「慈済宮」の名が授けられました。言い伝えによると、1742年、台湾で疫病が流行っていたため、福建省同安からの移民が故郷である白礁郷の慈済宮へ戻り、保生大帝の分霊を授かり、その後、大龍峒に保安宮を建てたそうです。廟は1805年に建設をはじめ1830年に完成し、大龍峒地区に暮らす同安人の信仰の中心地となりました。また、保安宮の完成後に当時の富豪たちが共同で余った建築材料を買い付け、保安宮の右側にある哈密街沿いに44件の店舗を建設し、これが「四十四坎」という旧地名の由来になったと言われています。前回の大規模な修復作業は1995年に行われ、その後、ユネスコの「2003年アジア太平洋文化遺産保全賞」を受賞しています。

特色あるナビゲーショ

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台北大龍峒保安宮平面図で標示台北大龍峒保安宮各ガイド項目、ガイド項目7ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1建築様式

大龍峒保安前殿の屋根前殿の屋根は中国の伝統的な宮殿や廟に用いられる歇山重簷式の仮四垂屋根で、台湾の寺院で最高級の建築様式を備えています。上下の軒の間には水車堵(軒近くの壁面に水平に施される装飾)があり、剪黏、交趾焼、泥塑などの装飾が施されています。建築様式には移民の故郷の背景も反映されており、例えば、屋根の伝統的な木造構造の三川脊式には、閩南地方の伝統様式が見受けられます。また、地面と壁面に積み上げられた幅が広くて平らな赤いレンガと瓦や三川殿と正殿の吊筒から伸びる龍頭なども同安、漳州、泉州地方の建築手法によるものです。

2建築職人による腕比べ

保安宮の大規模な修復保安宮の大規模な修復

日本統治時代の1917年に保安宮の大規模な修復が行われた際、陳應彬(1864~1944)と郭塔(生没年不詳)の2人の建築家が正殿の真ん中を境界に木造の特色を活かしながら、それぞれ腕を発揮して精巧な作品に仕上げました。

3正殿の壁画

正殿の壁画正殿周囲の壁画はすべて台南の画家、潘麗水(1914~1995)の作品で、1973年に完成しました。壁画はすべて綿密に練られた構図と華麗で優雅な色使いが特徴的で、熟練の筆使いが感じられます。中国古代の神話や歴史の物語を題材としており、潘麗水の代表作の一つであるといえます。

4嘉慶年間の龍柱

嘉慶年間の龍柱嘉慶年間の龍柱

三川殿の左右両側には数多くの石の彫刻作品があります。その中でも、廟内の龍柱はそれぞれ1804年から1805年に作られたもので、保安宮で最も古い彫刻作品です。また、三川殿の門に門神として描かれている秦叔宝と尉遅恭は劉家正(1955~)の作品です。

5正殿の交趾焼龍虎堵

正殿の交趾焼龍虎堵保安宮正殿左右的龍虎堵交趾陶正殿の左右にある龍虎堵の交趾焼は、著名な職人である洪坤福(1865~没年不詳)の作品です。かつて洪坤福は師匠である柯訓に同行して台湾へと渡り、北港朝天宮と新港奉天宮の再建作業に参加し、その後、新港に定住し、弟子をとって技術を伝えました。洪坤福の作品である龍虎堵は、まるで今にも動き出しそうな美しい造形で人々を魅了し続けています。

6保生文化祭

保生文化祭文化祭表演保生大帝の生誕日には、1994年から伝統的な廟会に代わって活気あふれる文化の祭典、「保生文化祭」が催されています。「保生文化祭」では、三朝清醮の儀式、家姓戯の演劇、保生大帝聖誕宴王祭、芸陣のパフォーマンスなどが行われます。

7哈密街四十四坎

保安宮の完成後、王、鄭、高、陳といった当時の富豪たちは余った建築材料を共同で買い付け、44軒の店舗を建てたと言われ、現在保安宮の右側にある哈密街の旧地名、「四十四坎」の由来になったそうです。

ひとことアドバイス

拝観時間は午前6時30分から午後10時までです。保生文化祭は毎年旧暦3月5日から5月2日まで開催され、家姓戯、保生大帝聖誕宴王祭、芸陣のパフォーマンスなどが行われます。三朝清醮の儀式は実施されない年もあるので、事前に保安宮までお問い合わせください。

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