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月津港聚波亭

月津港聚波亭
 
雷府万春大将軍を主神として祀る
文化財分類: 史跡
所在地: 台南市塩水区武廟路7号
登録告示年月日: 2021/09/23
経緯度: 120.26388,23.32087
指定機関: 台南市

指定/登錄理由

特色あるナビゲーショ

台南市塩水地区にある月津港聚波亭は、明の永暦17年(1663年)に建てられ、現在月津港に唯一残された史跡です。月津港聚波亭の「月津」とは塩水の旧名です。塩水は台湾で最も古い街の一つで、「一府(台南安平)、二鹿(彰化鹿港)、三艋舺(台北万華)、四月津」という言葉もあるほど繁栄を謳歌しました。 清の乾隆6年(1741年)、大陸の泉州や漳州と台湾の月津などの地を往来していた船乗りたちは、「雷府万春大将軍」という神様の偉大な力に感じ入り、月津港の聚波亭の傍らに雷府大将軍を祀る廟を建てました。これ以来、聚波亭は信仰の場となったのです。 月津港聚波亭の本殿内部の構造は屋根は畳斗式(斗を重ねた形)、三通五瓜形式(3本の梁と5つの瓜型の筒)が用いられています。清の嘉慶年間(1796-1820年)から現在に至るまで、何度も修繕が行われましたが、保存状態はおおむね良好です。現在の月津港聚波亭の建物の主要構造部は日本統治時代に再建されたままのもので、内部には台南の彩色画の名匠蔡草如(1919-2007年)による作品が残されているなど、文化遺産として非常に価値の高い場所です。

發展源流

主要特色


「聚波漁火」は、塩水の8つの景勝地の1つになりました。古代には、多くの文学者やインクマンが集まり、詩を保管していました。
「聚波漁火」は、塩水の8つの景勝地の1つになりました。古代には、多くの文学者やインクマンが集まり、詩を保管していました。
大正5年(1916年)の「忠義浩氣」のプラーク
大正5年(1916年)の「忠義浩氣」のプラーク
本堂には、清咸豊時代(1851-1861)の石香炉が祀られています。
本堂には、清咸豊時代(1851-1861)の石香炉が祀られています。
地震で寺院が倒壊した後、1934年(西暦1934年)に再建された後、碑文が建てられました。
地震で寺院が倒壊した後、1934年(西暦1934年)に再建された後、碑文が建てられました。
聚波亭は、チーイェとしても知られる謝将軍に捧げられています。彼の身長から、彼は長男と呼ばれています。
聚波亭は、チーイェとしても知られる謝将軍に捧げられています。彼の身長から、彼は長男と呼ばれています。
聚波亭は、八爺としても知られる一般的なファンに捧げられています。彼の身長が低いため、短爺とも呼ばれます。
聚波亭は、八爺としても知られる一般的なファンに捧げられています。彼の身長が低いため、短爺とも呼ばれます。
聚波亭は、雷府万春大将軍(雷府大眾爺、雷府千歲とも呼ばれます)を崇拝しています
聚波亭は、雷府万春大将軍(雷府大眾爺、雷府千歲とも呼ばれます)を崇拝しています
月津港聚波亭は聚波亭前身であり、本堂の外には「公寺」と書かれた楯が飾られています。
月津港聚波亭は聚波亭前身であり、本堂の外には「公寺」と書かれた楯が飾られています。
礼拝堂には「十宝館」と書かれた楯が飾られています。 清朝乾隆帝6年(1741)、悦神港の十宝館の隣にレイ宮の将軍を祀るお寺が建てられ、その後、十宝館は礼拝堂となりました
礼拝堂には「十宝館」と書かれた楯が飾られています。 清朝乾隆帝6年(1741)、悦神港の十宝館の隣にレイ宮の将軍を祀るお寺が建てられ、その後、十宝館は礼拝堂となりました

周辺のデータ

氣象
交通
住宿
飲食
景點